ドネガティブな私が、最近前向きな理由

 

こんにちは!ナナ・シーです。

いきなりですが、私は自他共に認めるドドドネガティブ人間です。

自分でネガティブになっているくせにネガティブになることに疲れて、

「ネガティブ 治し方」「ポジティブ思考 方法」

なんて検索したことは過去に何度もあります。(苦笑)

そうしていろいろなサイトを読み漁ってはみたものの、しっくりくる解決方法には出会うことができず、結局ずーっとネガティブ人間のまま生きてきました。

 

でもここ最近、なんだか気分が前向きなことが多いんです。

 

Twitterでの自分の呟きを見ていても、我ながら別人?!と思うほどポジティブな呟きをしています。

たとえばこんな感じ。

 

 

 ポジティブになろう!と思って呟いたわけではないのですが、自然と。

どうしてだろう?

その理由を考えてみました。

私だけでなく、ネガティブ思考に疲れている方の気づきになればいいなと思います。

 

自然と前向きになった理由

 

 

1.「悲劇のヒロインになりたがっていた」ことに気がついた

 

私はこのブログで、一大決心を発表しました。

ですがこの決心もよしやろう!と簡単にできたわけではなく、数ヶ月間ずーっと、どうしようか悩んでいたんです。

会社の愚痴と、自己否定ばかり繰り返しながら。

 

少し前に、こんなことがありました。

会社の愚痴を言っては、じゃあこうしたら?ああしてみたら?とアドバイスをくれる友人の言葉を「でもこうだから無理。だってああだから無理」と私はひたすら突っぱねていたんです。

あるとき、そんな私に我慢を切らした友人から、こう言われてしまいました。

 

悩んでいるからアドバイスしてあげているのに、聞き入れようともしないじゃん!

何がしたいの?解決するつもりがないのならぐちぐち文句言わないで!

 

「何がしたいの?」という言葉が心に引っかかりました。

友人のアドバイスすべてを否定する私がしたかったこと。

それは、悩みの解決じゃなかったのです。 

悲劇のヒロインを演じることだったのです。

 

  

「自分なんかダメだ」と言うことで、”かわいそうなワタシ”に構ってもらいたかっただけ。

ブスつらい。。といいながらSNSに自撮りをあげる女の子と同じです。

そんなことないよ、 大丈夫だよ、と言ってほしかっただけ。

だからそう言ってもらえるように、ネガティブな発言ばかり繰り返していたのです。

 

そして友人が言うように、自分で解決しようと思っていなかったのだと思います。

愚痴を言っていたのはもちろん、現状が嫌だったからです。

でもそれは周りのせいなのだから、誰かが助けてくれる・助けてほしいと無意識に思っていた。

現状をどうにかしたいのなら、行動するべきはほかでもない自分なのに。

このことに気がついてから、いかに私が甘ちゃんでわがままだったか思い知らされ、恥ずかしい気持ちになりました…。

 

だから最近は、でも・だってを言いそうになると

「あ、また悲劇のヒロインになろうとしてる」

と思うようになりました。

悲劇のヒロインになるんじゃなくて、自分で解決しなければ。

ネガティブ発言ばかりしている場合じゃない、それでは何も変わらないと思えるようになったことが、前を向くきっかけになっているように思います。

 

  

2.「悪い思い込みをしがち」という自分の癖を知った

 

結論から言うと、ストレングスファインダーを受けたことで、自分の無意識な思考のクセに気づくことができました。

 

 

ストレングスファインダーとは簡単に言うと、人間に備わる全34資質の中から、自分の持っている資質(=才能)を教えてくれるツールです。

ストレングスファインダーでいうところの”才能”とは『無意識に繰り返し現れる思考、感情、行動のパターン』のこと。

無意識の思考なので、たとえば責任感の才能を上位に持つ人は「責任感を持ってやろう!」などと思うまでもなく、無意識のうちに責任感を持って行動する、というような感じ。

ちなみに、私の上位5資質はこうでした。

 

  1. 共感性
  2. 回復思考
  3. 内省
  4. 学習欲
  5. 慎重さ

 

各資質の説明は省きますが、行動する前にリスクをよーく考える慎重なタイプであることが明らかに見て取れる結果となりました。

思い当たる節しかありません。(笑)

つまり私は「行動する前にリスクを考える」を、無意識にやっているんです。

 

才能、というと強みのように聞こえるかもしれませんが、才能とはあくまで強みの”元”

だから才能が暴走しすぎてしまうと、私の場合でいえば「行動する前にリスクを考えて考えて考えすぎてしまい、失敗を恐れて動けなくなる」という風にマイナスに転じてしまうこともあるのです。

 

…そう。

私がネガティブになっていた理由は、まさにこれだったのです。

私は、ものごとのリスク=マイナス面をまっさきに想定する癖があるのです。

だからいつも不安で、無理だ無理だとネガティブになっていた。

 

会社を退職することが決まってから、こんな出来事がありました。

 

私がやめることにより、私の仕事は同期社員にすべて引き継ぐことになります。

そこで私がまっさきに想定したことは、

「絶対同期に恨まれる」

ということでした。(想定どころか断定していますね…)

だってもし自分が同期の立場だったら、絶対に耐えられません。

ただでさえ忙しいのに、もう一人分の仕事まで任されることになるなんて…。

だから申し訳ない気持ちでいっぱいになり、罪悪感で同期とは目を合わせることすらできなくなってしまいました。

 

数日が経ち私の退職の話が同期にも伝わったあと、彼女からLINEが来ました。

「よかったら最後に飲みにいきませんか?」と。

このLINEを見て私の頭に浮かんだことは、こうでした。

「私、殴られるかな…すべての文句をぶちまけられるんだろうな…」

 

こんな風に気が重いまま、飲み会の当日を迎えました。 

しかし乾杯をしたあと同期から発せられた言葉は、思いもよらないものだったのです。

 

「恨んでるわけないよ!寂しいなとは思うけど。

 会社をやめても、元気で頑張ってね!」

 

そう。私が想定していたことは、すべて私の悪い思い込みだったのです。

みなさんも、経験がないでしょうか?

嫌われていると思っていたのに実はそんなことなかったり、怖い怖いと思いつつやってみたら意外となんてことなかったり。

 

上記のような資質を持った私ですから、今回の経験があったからといって

「じゃあ何も怖がることなんてないじゃん!すべてなんとかなる!」

なんて急にポジティブになれるわけではありません。

でも私は、”悪い方向に考えてしまう癖がある”ということを自覚できました

だから、ついその癖が出た時には「悪く考えすぎてない?また勝手に思い込んでない?」と自分を客観視することができるようになったんです。

そうすることによって、マイナス面だけでなく別の視点も取り入れることができる余裕が少しずつ生まれ、ネガティブ思考に支配されない自分になれるのだと思います。

 

 

3.失敗をした

 

会社員をやめて、勉強するためにバイトをする道を選んだ私。 

 ネガティブな私ですから、先にも述べた通りこの決断をするまではすごくすごく悩みました。

 

バイトで生活できるのかな…

休みも収入もガクンと減るのに耐えられるかな…

私が接客業なんてできるわけない…

 

こんな風に。

せっかく手に入れたホワイト企業の正社員というポジションを手放すなんて、簡単にできる選択ではありませんよね。

仮にその選択が失敗だったら、履歴書にも傷がついて取り返しがつかない。

あまりにも、リスクが大きすぎます…。

でも悩み抜いた末に思い切って決断をしてからはなんだか晴れやかな気分で、無理だ無理だと考えていたこともできるような気がしているんです。

 

そんな日々が続いていて、ある日ふと思いました。

 

失敗が怖くてずっと悩んでいたけど、私ってすでに失敗してたんじゃない?と。 

 

だって私、大きなリスクを取ってでも会社をやめるほどつらい現状にいたのですから。

私は「転職先の待遇の良さだけに目が眩んでしまい、自分を見失ってしまう」という失敗をすでに犯していたのです。

 

こう思ったら、

なーんだ!私もう失敗してたじゃん!あんなに失敗を怖がってたのに!

となんだか笑えてきて、気持ちが軽くなりました。

それに、この失敗が自分を見つめ直すきっかけとなりました。

本を読んだりブログを書いたりすることで、心の成長も感じています。

そういえば自分自身の変化についてnoteを書いたので、よかったらぜひ。

 

note.mu


 

まとめ

 

総じて言うと、私が最近前向きな理由は自分を客観視できるようになったからでした。

ずっと自分のネガティブさに悩んできましたが、最近悟ったことはネガティブは簡単に治せるものではないんじゃないかということ。

ネガティブを治したって記事じゃなかったっけ?と思われたかもしれませんが、そうではありません。

最近前向きなことが多いのは確かですが、私の根っこにあるネガティブはちっともなくなっていません。

 

それでも、珍しく前向きな私が無意識にしていたことは、自然と心が前を向くようなきっかけを見つけること

 

無理にポジティブになろう!なんて思ったわけではないのです。

それに、ネガティブって必ずしも悪いわけでもないなと感じました。

 

 

こうやって、少しずつでも「自分らしさ」を認めていけたらいいなぁと思うのです。