子猫を拾った話。
1か月前に地元の岩手県に帰省したとき、人生で初めて子猫を拾いました。
無責任に拾ってしまったことに後悔した話、ある芸人の言葉に救われた話をしたいと思います。
痩せた子猫との出会い
地元へ到着した新幹線を降りた私は、重たいキャリーケースを引きずりながら実家へ向かっていました。
懐かしい街並みを眺めながら、あっコンビニができてる、クリーニング屋がなくなってる…、なんて思いながら歩いていると、視界の右端にふと黒っぽいものが映ったのです。
大きな車道の路肩だったのでカラスの死骸か何かかと思い、おそるおそる視線を向けると、その正体は痩せた子猫がうずくまっている姿でした。
どうしてこんなところに子猫がひとりで?!
母猫が近くにいるかもと見まわしてみましたが、声も気配もありません。
とりあえず車道は危ないからと近づくと、びっくりした子猫はハザードをつけて停まっていた車の下に潜り込んでしまいました。
やばい、これじゃもっと危ないと思った私は200メートルくらい先にあるコンビニまで走って、猫用のおやつを購入し、急いで戻りました。
走って戻っている最中に停まっていた車は既にいなくなっているのが見えたので、何かあったらと心臓が跳ねたのを覚えています。
元いた場所へ戻ると、一瞬姿が見えませんでしたが、かすれた小さな鳴き声が聞こえ、見ると子猫は花壇の縁にまたうずくまっていました。
さっきは驚かせてしまったのでしゃがんだままゆっくり近づき、おやつを少し出してあげます。
すると子猫は警戒する余裕もなかったのか、一目散におやつを食べはじめました。
きっと、お腹がすいていたんだと思います。
しばらくおやつを食べさせながら母猫がいないか見回していましたが、やっぱりその気配はありません。
その道路は駅からまっすぐ街中へと続く綺麗に舗装された大通りだったので、いくら田舎とはいえこの辺を猫が歩いているのは見た覚えがありませんでした。
このまま放っておいたら車に轢かれたりカラスに攻撃されるかもしれないと思い、後先のことはあまりよく考えず、とりあえず子猫を抱いて実家に帰りました。
「捨て犬を拾う妄想」が現実になったものの
「お母さん!学校の帰り道で捨て犬拾ってきた!!」
「何やってるの!!どうするの!!」
「うちで飼っていい?ちゃんとお世話するから」
「まったくしょうがないなぁ…」
これは小学生の私がよくしていた妄想です。(笑)
私は小さい頃からとにかく動物が好きで好きで、でも家の事情で飼うことを許されませんでした。
飼いたいのに飼えない悔しさを、「捨て犬・捨て猫を拾う妄想」で紛らわせていたんです。
ペットショップで買ってくれないなら、拾って帰れば、親もしょうがないから家で飼うと言うんじゃないかと思って…。
犬ではなかったけれども、その妄想が現実になってしまいました。
“しまいました”というのはいざ現実になってから思ったことで、どちらかといえばネガティブな意味合いでした。
どうして妄想が叶ったのにネガティブな気持ちなのかといえば、目の前の命は現実に、確かに存在しているからです。
心に生まれたのは妄想通りの「やった!ペットが飼える!」という気持ちではなく、「どうしよう、この小さな命をどうしてあげたらいいんだろう」という責任感と焦りでした。
後悔
結局のところ、子猫は両親が住む実家で飼うことになりました。
実家ではヤドカリやヒトデを飼って(?)いたことがあるくらいで動物を飼うことには慣れていないので、親戚などに当たって一応里親も探してみたものの、見つからず。
子猫の家が決まったことは良かったのですが、それでも私の気持ちはもやもやしていました。
もしあのまま放っておけば、母猫と会えていたかもしれない。
子猫にとってはそのほうが幸せだったんじゃないか?
調べてみると、生後おそらく2か月程度。
まだまだお母さんと一緒にいたい時期なはずです。
突然両親に猫を押し付けて、自分はすぐ東京に帰ってしまうなんて無責任すぎる。
後先も考えない自分の軽率な行動を責める言葉が、ぐるぐると頭の中を駆け回り、罪悪感でいっぱいでした。
「猫 拾う 無責任」なんてGoogleで検索してみたり。
そんな気持ちを知ってか知らでか、子猫はすごく人懐っこくて、特に東京に帰るまでの約3日間寝る時もずっと同じ部屋でべったりかわいがっていた私を信用してくれたのか、肩に乗せて!膝に乗せて!と甘えてくる。
かわいくてかわいくて、でもそんな子を置いて私は帰るのだと思ったら、実家を出るときは大人げなくわんわん泣いてしまいました。
新幹線の中でもひとりで泣いて、東京の家に帰っても、たくさん撮った写真を見返すのも辛くてできずに、数日間目を腫らしていました。
文章を書きながら思い出して、今も泣きそうになっています…。
「命さえ救えばあとはなんとかできるんですよ!」
お盆が明けて東京に帰ったその週末、24時間テレビが放送されました。
その中で、マラソンランナーを務めたお笑い芸人のみやぞんがこんなことを言っていたんです。
死んでしまったらどうにもならないけど、とりあえず命さえ救ってあげればあとはなんとかできるんですよ!
私のために言ってくれているのかと思ってしまいました。
私があの子を拾わなければ、無事にお母さんと会えていたかもしれない。
でも、車に轢かれてしまっていたかもしれない。
どちらの未来も、想像でしかありません。
でも一歩違えば最悪の未来につながるかもしれない賭けなら、確実に命を救える未来を選んだことは、間違いではなかったのかな?
みやぞんの言葉を聞いて、罪悪感でいっぱいだった心が軽くなりました。
みやぞんは大の動物好きで、これまでに6匹の犬を拾ったことがあるそうです。
そのたびに里親を探し、一番最後に拾った子は自分で飼っているそう。
拾ったあとに「なんとかする」ためには、たくさんの手段があります。
SNSが発達している今の時代ならなおさら、里親募集のサイトや、Twitter、インスタグラムでもいい。
命を拾った以上、「なんとかする」責任は当然あります。
ただその責任とは必ずしも、自分で飼うということとイコールでなくても良いのだと気付かされました。
そして同じころ、父親から連絡が来ました。
朝通勤中に、車に撥ねられて横たわっている子猫を見た。
つむぎ(子猫の名前)はナナに拾ってもらえて良かったね。
うちの次女として大事に育てます。
子猫が家族をつなげてくれた
私の家族は、実家に住む両親と、実家を出てそれぞれ離れて暮らしている姉弟3人です。
仲が悪いわけではないのですが、用もなく日常的に連絡を取り合うことはめったにありませんでした。
でも子猫が実家に来て以来、猫の様子を聞いたり、両親が写真や動画を送ってきたり、体重が増えたよ!なんて報告をもらったり。
交通費が高い、帰省ラッシュが嫌だ、休みが取れない、という言い訳でなかなか帰らない私でしたが、今年は年末を待たずにまた帰省する予定を組んでいます。
今何してるかな。早く会いたいな。
おもちゃをたくさん買って帰ってあげよう。
終わりに
やっぱり、私は動物が好きだ!
無償の愛を与えられる存在。
だから動物のためになることがしたい。
子猫を拾ったことは、“命”というものを強く感じた経験になりました。